2024 年9 月30 日
2024 年9 月27 日
かつての美人先輩
今からだから言えるが、かつての「ガキの時代」には、少し年上のお姉さんを見ると、「美人だなぁ」と事ごとに思い、同級生や下級生の女子は、自分の事を棚に上げて「ガキだなぁ」と思っていたものである。 ところがこの歳になると、当時「綺麗だなぁ」と思っていた年上の人を見る目が俄然変わっていることに、先日気づかされた。 ガキの頃は大人の話を小耳に挟んでの「助兵衛心」も多分にあったのだろうが、最近では残念ながらそれもほとんど卒業と思われるようになっているのだから、変わるのも不思議はないのだが。 ところが、先日愕然とした人を見た。 加齢の所為か、私自身は身長はほとんど変わっていないのだが、彼女は少し小柄になっていた。 それはそれで「可愛い」のだが、顔の手入れはなさってるのだろうから、美形の面影はしっかりと残っている。 ところが、歩く姿が、蛙が歩く姿にそっくりなのである。 太っている訳でもないのに、「大きくガニ股」なのである。 せっかくの美形が台無しであり、長年のあこがれの風船も完全に萎んで終った。2024 年9 月26 日
使えば減る、それだけ「やっている」という事だ
書き写しでは、基本的に毎日3種目で各1枚ずつ使用している。 チラシの裏や使い古して残ったノートの裏などを使ってやっているが、そろそろストックが少なくなりつつある。 新聞のチラシは幸い裏白の物だけでも、週にすれば10枚程度入ってくるので、それなりに重宝しているのだが、私の場合それに原稿様式の印刷をして使っているので、其の儘では使えないので、ストックの時間が掛かる。 だから、上記のテンポで使うと足りなくなってくるのである。 これは決して「悲観」ではなく、「やっているという充実感」であり、減るのが楽しい。 リタイアした当時はまだいろいろと付き合いがあり、若かったから支出はそれなりにあったが、最近はそれほどでもないし、あれだけ好きだったパチンコも週一も無いくらいだから、細々とした年金生活者としては、書き写しも一つの大きな楽しみである。2024 年9 月25 日
健康麻雀で絶スランプ
今週の月曜日にいつも通り健康麻雀に参加した。 ところが、「不調」というのは今でも何度も経験していたが、其の日は「絶」がつくほど不調だった。 他の人が上がった時の感想戦が話されていた時が何度かあって、その話はほとんど聞かず、自分の自模牌と捨て牌を場を見ながら反芻していたが、「勘違い」という事も「切り間違い」という事も見当たらないのである。 また、振込も無かったので、自模られたのとノーテン罰符で減るだけで、幸い3位をキープするのに止まった。 それにしても、長い間麻雀をやってきたがこんなことは初めてだと思う。 賭けている訳では無いから、「無茶」ではない程度に挑戦しようとするのだが、いずれの場合も「途中で停滞」という手の進み方だった。 体調も特別悪い訳では無いのだが、矢張り加齢の所為だということにしておこう。2024 年9 月24 日
少し長くなるが
ことわざ(故事・金言)小事典の書き写しをしていることは9月11日に紹介したが、先日出会ったのに、こんなことわざがあった。 「この非道なくわだて(戦争)における奇妙な点は、人殺しの首領が、それぞれ隣国を皆殺しに出掛ける前に、自分の軍旗を祝福し、厳かに神に祈る事である。もし首領が2-3千人の人間を殺させるという幸福しか掴めなければ、彼は神に感謝しない。」(ヴォルテール 仏蘭西の哲学者 1694-1778)。 これを誰がどう読んで、どのように理解するかは夫々だから、一概に私の理屈を述べるつもりは無いし、場合によっては、賛成論より反論の方が多いかもしれないから、「私が気に留めた一言」という事で紹介だけにします。追記をみる
2024 年9 月20 日
噴飯物の記者への答弁
今回の兵庫県知事さんは、よほど学業としての成績が良く、元知事さんだった人の末裔で、「蝶よ花よ」と育てられてきた人なのだろう。 全議員からの不信任を受けた後の記者への答弁は「カンペ」もほとんど見ずに、どこかで聞いたような文言だった。 在職中は半官半民の会社で仕込まれたから、使う機会は無かったけれど、こんな文章を書くのだぞと教えられたことがあった。 要は「自分は『誠心誠意』職務に精励して、落ち度はあったかもしれないが、決して悪意でやった事は一度もやった事が無い」という趣旨の文章である。 それでご先祖様から「トップになったらある程度無茶も通るだろうが、それまでは『御名御璽』で勤務に励め」とでも言われ、自然のうち「ニギニギをよく覚え」ということになったのだろう。 哀しい哉、自分で自分が「正しいのかな」と思う事も無かったのだろう。2024 年9 月19 日
孫二人だけのドライブ
久し振りに帰った頭の孫娘と、先日免許証を貰ったばかりの次孫の二人に「一日保険」に加入して午後から私の車を貸してやった。 頭の孫は帰る度に「運転させて」と言ってきたので、その都度安全な空き地を使って指導してきたので、ある程度は大丈夫だろう」と思っていたが、下の孫は一度もそんなことが無く、果たして大丈夫かなと送り出した。 それから約4時間、心配のし通しで、何もやる事が手に着かない状況だった。 それでも、二人ても笑顔で帰って来たのを見ると、涙こそ出なかったが、嬉しさの頂点だった。 私が車を買ってもらって、最初の運転は、やはり一人だったが、仕事上やむを得なかったのだが、両親や家内の心配は如何許りだったろうかと、50年以上も前の事を思い出して、感謝した次第である。 悪い意味ではなく「これが日常」ということになって呉れればいいのだがと、切に思う。2024 年9 月18 日
政治屋を野放しにすると、好き勝手
今に始まった訳では無いけれど、自民党の総裁選や何とか民主党の代表選で、各候補が独自路線で選挙運動をされいるようで、各々勝手な「自由論」を述べられている様子が、ネット情報で話題になっている。 これに影響を受けた訳では無いだろうが、米国でも応援の心算で言ったことがとんだ話題になっている。 何方も「言い直し」や「冗談だよ」とごまかしているようだけれどけれど、結局は「袈裟の下から鎧が覗く」事を仰っている。 それならそれで、最初からそう言えばいいのに「わが政党は一本柱です」のような嘘をつくのにも苦労があっただろう。 果たして今月中、米国は11月らしてが、どのように決着がつくのだろうか。 私は何方にも加担する権利はないから、「お手並み拝見」と対岸の火事で有る。2024 年9 月17 日
「満足」ってどれだけ
最近、自分では然程「不満足」と感じている訳では無いが、いろんなところで「満足してますか」というような疑問符が呈されているのが気にかかっている。 作家としても有名になられた「五体不満足」という方の本は読んでいないが、おねだり知事さんの話題に始まるように「この人、どこまで行けば『満足』を感じられるのだろうか」と思ってたりしてしまう。 好きな健康麻雀も始めた頃は、経験年数だけはかなり上位の方だったから、「(点数で)負けてたまるか」が一つの満足ラインだったが、最近は負け惜しみも含めて「良い手に出来上がった」と思うことが私の満足ラインである。 先日も立直後「2槓子」迄出来て、もう一つできればと期待に胸が躍ったが、ドラ牌だから出る訳もなくみんな降りられてしまったので上がる事は出来なかったが、それでも「十分楽しめた」という満足感だった。 以前このブログでも何度か紹介したが、確率ゼロではないが、「未果てぬ夢」がある。 年末ジャンボで20枚買って、80億円の当籤、である。 で当たる前らか「一時的にせよ、保管、防犯はどうしようか」と想像することも満足の一つである。 少なくとも当選発表まで楽しい夢ではないか。 私の満足は此の程度で十分である。2024 年9 月13 日
前向きの終活を目指して
従来「終活」という言葉がどうにも好きに慣れず、極力使わないようにしてきたが、喜寿も過ぎたからそろそろ良いかと思うようになってきた。 両親の時の後始末で一番苦労したのは「写真の整理」だったが、それについてはいち早く電子化して、一部の物は精密化からカラー化をして仕舞ってあるから、もし孫が見ても始末に困る事は無いだろう。 それで従来使っていた数台のPCの中を覗いてみたら、「有るわ有るわ」で完全ダブリから、一部ダブリの物が続々と出てきた。 それで「慌てず、落ち着いて」整理をして、後世誰も見ないかもしれないけれど、「こんな人間がいた」という事を私か良心を思い出すように見ることが出て来ても、ある程度ストーリーが分かるようにしておきたい。 これが「前向き」だと思いながら。 楽しく「終活」を過ごしてゆこう。2024 年9 月12 日
体重は順調
以前に紹介した時は「75台が徐々に増えてきた」だったように思う。 あれから長い夏休み中に「ほぼ月平均が75台に」となった。 体重の心配がない方には「どうでもいい事」だろうが、私にとっては重要目標指標の一つの体重であり、随分長い間の願望なのだから、この上なく嬉しい。 但し、この猛暑・酷暑の中だったから「食欲減退」が一つの要因であることは残念ながら本当である。 「食欲」という点では減っているとは思っていないのだが、その要因の一つに「好物が食べられない」というのがある。 アレルギーになってからだからもう大分経つのだが、いまだに「こってり系のラーメン」がこの暑い中でも食べたくなる。 自分では大分慣れたとは思うけれど、矢張りときどき思ってしまうと、他の物が美味しく感じられないのである。 我が家の栗も少しずつ収穫できて来ているので、これから「好物」を探しながら「量」を加減して75台をキープしてゆきたい。2024 年9 月11 日
箴言・金言の書き写し(新聞投書と同一内容)
ボケ防止と指先の運動を兼ねて、50年ほど前に買った「金言・箴言集」を「日に5個の書き写し」を習慣づけてきている。 先日漸く「日本語編」が終わって、新しい章の「各国篇」になった。 そのトップに出てきた名句が「国家の価値は、結局国家を組織する人民の価値による」(英国 経済学者 J・S・ミル)だった。 「国家」を「県」にして見たら、昨今のアンケートも不採用になった国会議員さんを選んだことと同じことになるのではないかと思い当たった。 私も長い間富山県民としてほぼ欠かさず投票している一人としてこの様に富山選出の県民なのかぁ、と思ってしまったが、そう思うこと自体が「百年河清を俟つ」という為体なのだと残念である。2024 年9 月10 日
我が家は大丈夫か
番組の宣伝をするつもりはないので、番組名は出さないようにして書きたい。 今月は坊災月間だとの事で、9月1日の東京大震災を契機に制定されていることは、飽く迄も「知識の上」だけで知っていた。 元日の能登大震災も、はやトラウマも無くなっている時期でもあり、南海トラフについても、飽く迄も「知識の上」だけだった。 そんな昨日は「新聞休刊日」だったこともあり、自民党のトップや野党のトップが変わろうとあまり興味がなく、録画番組を見ていたら、そんな特集だったので、見終わってから、買った当時は中身を興味深く眺めていたのだが、あれから20年以上もほったらかしにしてあった「非常持ち出し袋」を開いてみてびっくりした。 懐中電灯は入って居たのだが、電池は完全にボツ。 マスクも紙製コップも期限切れ。 結局ロープだけがまだ使えそうなだけで、唯一使えるのは「呼び笛」だけだったのである。 袋は丈夫な「帆布」が使われているようなのだが、これ契機に再点検しておこう。2024 年9 月9 日
三つの「快」
このテーマは、以前にも何回か使わせてもらっているが、調べることもせずに思うのは「何か年齢を考える時」だったように思う。 少しダブるし、以前と違った事にもなると思うが、今回の「三つ」の一つ目は多分以前と変わっていないと思うが「快食」である。 味覚はその時その時で変わるけれど、今回もほとんど変わらず「何でも美味しく食べられる」という意味での「快」である。 店屋物、家内作成、娘作成、最近では孫作成もある。 正直言うと全てが「口に合う物」ばかりではないが、「食べられる幸せ」と感じれば上等だろう。 二つ目は、過去幾つも上げてきたが、今回は「快眠」である。 ついこの前までは「夜中に何回も起きる」というのが悩みの一つだったのだが、最近は精々起きても2度までで通算6時間余り寝られているのである。 さて、こうなると三つめは何になるだろうか。 今回は「快便」である。 細かく書きと尾籠な話になるから止すが、以前「前立腺癌」になった友人からその苦しみを聞いた時から大小にかかわらず「出せる」ことが三つ目である。2024 年9 月6 日
何故リコール制度を活用しないのだろうか
このタイトルを思いついたのが「おねだり知事」の話題が真っ盛りの事である。 以前にも同じようなことを書いた覚えがあるが、何故凝りこの様な知事を「直接選挙で選んだ」県民が挙ってリコール運動をして辞めさせないのだろうか。 如何に現与党と野党の一つが協力して推薦したかもしれないが、ここまで「劣悪だ」と分かったら、百条委員会や取り巻き連中が優しい声で質問攻めにしたところで、本人の「根性「が腐ってしまっているのだから、取り返しがつかなかろう。 で、今日6日には「訊問」が開かれるのだそうだが、例によって「生かさず、殺さず」の時間の無駄をして、有耶無耶にしてしまうのではないか。 でないと応援した側にもとばっちりが来るのだから、残念ながら「百年河清を俟つ」という結末になるのか。2024 年9 月5 日
読書感想文
夏休み中に書き写しを終えた本です。 「越中の方言」(大田栄太郎 著 北日本新聞社 刊)です。 昨年の8月28日から、項目単位ではなく、200文字原稿用紙で、区切りの良い所迄を1日の日課として書き写したものです。 掲載数としては数えていないが、今でも時折使っている物を含めても20%はなく、殆ど新しい知識として、興味深く読み書きすることが出来て、楽しかった思いである。 現在の富山県にしても、大きく分けて呉西、呉東と言う区分けが有り、その各々に当然ながら北部、南部が有る。 それに北部は海岸部とそうでない所が有り、南部は五箇山に代表される雪深い地域や平家の落ち武者の末裔では無いかという昔は少し閉鎖的なところと、平地でも、昔は佐々成正領だった所(大雑把に言うと、薬売りに代表される所)や加賀前田領だった所が有って、交流範囲も複雑だったから、知らないことが有ってもしようがなかったのだろう。 多分、他地方の方には面白くないし、説明しても「訳が分からん」ということになるだろうから、内容の大目次だけの紹介にしておこう。 でも、もし興味かあれば、自分の育ったところの方言に勤しんで見るのも楽しいのではありませんか。 方言の色々 <天地・気候> <動物> <草木と野菜類> <身体と健康> <衣類と雨具類> <飲食・嗜好物> <住居と動作> <老若男女・親類> <社会生活・あいさつ> <生産と消費> <行動と性情> <事物・時・場所> <農山・漁村> <習俗・信仰>2024 年9 月4 日
過去のデータでは面白いことが分かった
遅ればせながら、Excelの大きな機能としてのピボットテーブルという機能を「知識で知っていた」だけで、「あれを使っていろいろと分析をしてみたらどうだ」と品質管理とう担務の時に部下に指示をしていた。 それはそれで、当時はそれなりに効果を上げた、と思っている。 ところが、リタイアして「それを使う」という事を学習し始めたことは、随分前に開陳しているので、愧じる事は無いのだが、この夏休みに確りと学習して、その効果が素晴らしいことに気が付いた。 在職中、単身赴任時を含めて、小遣い帳はしっかりと付けていた。 その何年か分を分析して見たのである。 いろんなことの中の一つで、パチンコ収支、についてで面白いことが分かった。 細かいことは興を削ぐだろうから、それは別にして対象にした期間は単身赴任期間の6年間についてである。 一体何曜日に多く使っているのだろうか。 漠然と考えられるのは、平日は時間もあまりないから、週末だろうと思っていた。 ところが水曜日だったのである。 何故か、いろいろと想像をめぐらしてみて楽しんでいる。 ついでに「パチンコは勝つわけがない」娯楽だが、6年間だけのトータルでは、ナント「マイナス1万円余り」だった。楽しい娯楽だったのである。2024 年9 月3 日
体重と腹囲の関係
夏休みの間、健康バロメーターとしての体重と腹囲については、自分としては画期的と思われる数値の達成頻度の多さに驚き喜んでいる。 目標体重は、此処でも何度か紹介しているが、75Kgで有り、これは身長から割り出す数値よりも多いのだが、医師とも相談の上で設定し、自分でも風呂場での「鏡に映る肉付」具合から納得している物である。 8月中の平均が75台だったのである。 平均だから76を超す事も有れば、特別減食した訳でも食ボソリとなった訳では無い。 最初は、これに伴っての腹囲の目標値も85前後であり、満足していた。 ところが、体重が減っているのに腹囲が減らないどころか増える(精々わずか2cm位なのだが)場合がある。 この原因を探ってみると「酷暑の夏で冷房機に身を委ねて、身体を動かさなかった」事だと気が付いた。 矢張り数値が教えて呉れた幸いである。2024 年9 月2 日